はじめに:気づけば夕方。何もしていないのに疲れていた
休みの日。
朝は、少しだけ気分が軽い。
今日はゆっくりしよう。
少しだけ片づけよう。
気が向いたら、本でも読もう。
できれば、何か一つくらい自分のためになることもしたい。
そんなことを思っていたはずなのに、気づけば夕方になっている。
ベッドの上で、なんとなくYouTubeを見ていた。
SNSを見ていた。
ショート動画を流していた。
気づけば、最初に見たかったものとは全然違う動画まで見ていた。
「あと5分だけ」
そう思っていたのに、1時間、2時間と過ぎていく。
窓の外が少し暗くなってきて、画面がふっと暗くなった瞬間に、自分の顔が映る。
そのときに思う。
「今日も、何もしないまま終わってしまった」
この感じが、私は昔から苦手でした。
休んでいたはずなのに、なぜか回復していない。
何もしていないのに、なぜか疲れている。
誰かに怒られたわけでもないのに、自分で自分を責めてしまう。
昔の私は、これをずっと「怠け」だと思っていました。
自分は意志が弱い。
時間の使い方が下手。
また一日を無駄にした。
そんなふうに考えていました。
でも今になって思います。
あの休日の虚無感は、ただ怠けていたからではなかったのかもしれません。
たぶんしんどかったのは、
時間を使ったはずなのに、自分の中に何も残っていない感じ
だったのだと思います。
休みの日に何もできない自分を、ずっと責めていた
休みの日に何もできない。
これは、たぶん珍しいことではありません。
本当はやりたいことがある。
でも動けない。
何かした方がいいとは思っている。
でも、何をしたらいいかわからない。
だから、とりあえずYouTubeを見る。
SNSを見る。
気づけば、なんとなく時間だけが過ぎている。
心から見たいわけではない。
でも、やめられない。
そして見終わったあとに、すごく満たされるかというと、そうでもない。
むしろ残るのは、
「自分、何してたんやろ」
という気持ちでした。
昔の私は、まさにそうでした。
休みの日になると時間はある。
でも、その時間をどう使えばいいのかわからない。
自由なはずなのに、自由を持て余している。
今思えば、私は本当に動画を見たかったというより、何も考えたくなかったのだと思います。
仕事のこと。
将来のこと。
人間関係のこと。
恋愛のこと。
自分には何があるのかという不安。
そういうものを考えるのがしんどかった。
だから、画面を見ていました。
何かを見ている間だけは、自分のことを考えなくて済む。
でも、考えなくて済んでいるだけで、心が回復していたわけではありませんでした。
むしろ、時間だけが過ぎて、最後に残るのは自己嫌悪でした。
スマホが悪いわけではない。使い方で全然変わる
ここは、ちゃんと書いておきたいです。
私は、スマホが悪いとは思っていません。
むしろ私は、スマホにかなり助けられてきました。
資格の勉強でもそうです。
スタディング(オンライン講座)で講義を見る。
過去問道場で問題を解く。
わからない言葉をその場で調べる。
移動中や休憩中に、少しだけ勉強する。
こういう使い方ができたからこそ、机に向かうのが苦手だった自分でも、勉強を続けられた部分があります。
だから、この記事で言いたいのは、
「スマホを見るな」
という話ではありません。
スマホは、使い方によってはかなり強い味方になります。
問題だったのは、スマホそのものではなく、目的もなくYouTubeやSNSを見続けて、自分の中に何も残らない時間が増えていたことでした。
同じスマホでも、全然違います。
なんとなく動画を見続けて、自己嫌悪だけが残る時間。
講義を一つ見る時間。
問題を一問解く時間。
気になることを調べる時間。
考えたことをメモする時間。
どれもスマホを使っています。
でも、終わったあとの感覚はまったく違います。
昔の私は、この違いがよくわかっていませんでした。
大事なのは、スマホを使ったかどうかではなく、
終わったあとに、自分の中に何が残っているか
だったのだと思います。
恋愛に気持ちを使いすぎて、休日まで飲み込まれていた
当時の私は独身で、これといって打ち込める趣味もありませんでした。
休みの日になると、急に時間ができる。
でも、その時間をどう使えばいいのかわからない。
しかも当時は、恋愛もうまくいっていませんでした。
返ってこないLINEを何度も見る。
相手のSNSを見に行く。
連絡が来ないだけで気分が沈む。
少し優しくされるだけで、勝手に期待する。
今振り返れば、私は相手そのものだけではなく、自分の空いた心と時間の受け皿を、恋愛に求めていたのだと思います。
だから、うまくいかないと必要以上に消耗しました。
恋愛に気持ちを持っていかれる。
考えても仕方ないことを考え続ける。
相手の気持ちばかり気にして、自分の時間までなくなっていく。
そして疲れ切ったあと、何もする気が起きなくなる。
結局、またYouTubeを見る。
SNSを見る。
気づけば休日が終わっている。
あの頃の私は、ただ怠けていたわけではありません。
使い道のわからないエネルギーを、ずっと他人の方へ流していたのだと思います。
自分の時間なのに、自分のために使えていない。
自分の休日なのに、他人のことで頭がいっぱいになっている。
それが、しんどかったのだと思います。
他人を見続ける時間は、自分を少しずつ削っていく
YouTubeを見る時間も、SNSを見る時間も、全部が悪いとは思いません。
笑える動画を見るのもいい。
誰かの投稿を見るのもいい。
何も考えずにぼーっとする時間も、必要なときがあります。
ただ、昔の私にとってしんどかったのは、そこに「自分」がなかったことです。
他人を見る。
他人の生活を見る。
他人の成功を見る。
他人の恋愛を見る。
他人の考えを見る。
ずっと他人を見ているのに、自分のためには何も残っていない。
これが、じわじわ効いてきました。
休みの日の終わりにしんどくなるのは、何もしていないからというより、
自分の時間を使ったはずなのに、自分に何も返ってきていないから
だったのだと思います。
同じ1時間でも、自分のために使った1時間は少し残ります。
本を少し読む。
散歩する。
部屋を片づける。
日記を書く。
資格の問題を1問だけ解く。
気になることを調べる。
小さくても、自分の中に何かが残ります。
でも、なんとなく流れてきた動画を見続けるだけの時間は、終わったあとに何も残らないことが多い。
むしろ、
「また時間を無駄にした」
という自己嫌悪だけが残る。
それがしんどかったのです。
休んでいたはずなのに、なぜか回復していなかった
昔の私は、休日にだらだらしているのだから、体は休めているはずだと思っていました。
でも、実際は少し違いました。
体は横になっている。
でも、頭はずっと刺激を受けている。
目は画面を追っている。
心は他人の情報に振り回されている。
これでは、休んでいるようで休めていません。
YouTubeやSNSは、受け身で楽しめるので楽です。
でも、楽だからといって、必ず回復するわけではありません。
次から次へと動画が流れる。
別に見たかったわけではない動画まで見る。
自分で選んでいるようで、ただ流されているだけになっている。
その状態が何時間も続くと、休日の終わりに妙な疲れが残ります。
休んだはずなのに、回復していない。
何もしていないはずなのに、なぜか疲れている。
自由だったはずの時間に、逆に飲み込まれている。
私はずっと、この感覚に苦しんでいました。
そしてそのたびに、自分はだめだなと思っていました。
でも、今なら思います。
あの頃の自分に必要だったのは、もっと自分を責めることではありませんでした。
必要だったのは、時間の向きを少し変えることだったのだと思います。
「少ないけど、ゼロじゃなかった」と思える日を作る
休みの日に何もできない日があっても、それ自体は悪いことではありません。
本当に疲れているなら、寝た方がいい。
何もせずに過ごす日があってもいい。
ぼーっとする時間も、人には必要です。
ただ、昔の私がしんどかったのは、休んだあとに楽になっていなかったことです。
本当に休めた日なら、少しすっきりします。
「今日はよく寝た」
「ゆっくりできた」
「また明日から少し頑張ろう」
そう思える日もあります。
でも、目的もなくYouTubeやSNSを見続けて終わった休日は違いました。
休んだはずなのに、むしろ疲れている。
何もしていないのに、自己嫌悪だけが増えている。
時間はあったのに、自分の中に何も残っていない。
その感覚が続くと、自分が少しずつ減っていくような気がしました。
だからこそ、いきなり充実した休日を目指す必要はないと思います。
大事なのは、ほんの少しでも、
「少ないけど、ゼロじゃなかった」
と思える日を作ることです。
本を1ページ読む。
散歩を10分する。
机の上だけ片づける。
気になることを少し調べる。
資格の問題を1問だけ解く。
今日感じたことをメモに一行だけ書く。
それだけでいいと思います。
人生は、いきなり変わりません。
急に意識の高い人間にもなれません。
私もそんなタイプではありません。
でも、ゼロではない日を少しずつ増やすことはできます。
そして、その小さな積み重ねが、あとから自分を助けてくれます。
私にとって、そのきっかけがたまたま勉強だった
私にとって、「自分の中に何かが残る時間」のきっかけは、たまたま勉強でした。
最初から意識が高かったわけではありません。
立派な目標があったわけでもありません。
将来を完璧に考えていたわけでもありません。
ただ、何も残らない休日を繰り返すのが、しんどかっただけです。
本屋で気になる本を手に取る。
少し読む。
わからないことを少し調べる。
資格の勉強を少し始めてみる。
最初はその程度でした。
でも、その小さな時間が、自分を少しずつ助けてくれました。
宅建(宅地建物取引士)やFP(お金や保険などの知識を学ぶ資格)、社労士(社会保険労務士)の勉強を通じて得たものは、資格そのものだけではなかったと思います。
もちろん、資格を取れたことは大きかったです。
でもそれ以上に、
自分はまだ前に進めるという感覚
他人に振り回されるだけでは終わらないという感覚
自分の時間を、自分のために使っているという感覚
こういうものが、少しずつ戻ってきたことの方が大きかったかもしれません。
そして、その勉強を支えてくれたものの一つがスマホでした。
机に向かうのが苦手でも、動画講義なら見られる。
分厚いテキストを開くのがしんどくても、スマホなら一問だけ解ける。
移動中や休憩中でも、少しだけ知識に触れられる。
私にとってスマホは、自分を減らす道具にもなったし、自分を増やす道具にもなりました。
だからこそ、大事なのは道具そのものではなく、使い方だったのだと思います。
この記事で言いたいのは、
「みんな資格を取りましょう」
ということではありません。
私が伝えたいのは、もっと手前の話です。
他人を見続けて自分を減らす時間ではなく、自分の中に少しでも何かが残る時間を持った方がいい。
それだけです。
その手段は、勉強でもいい。
読書でもいい。
運動でもいい。
日記でもいい。
料理でもいい。
散歩でもいい。
大事なのは、終わったあとに少しでも、
「自分のために時間を使えた」
と思えることです。
休日の虚無感は、怠けではなく「自分が減っていく感覚」だったのかもしれない
昔の私は、休日の終わりにしんどくなる自分を見て、ただ怠けているだけなんだと思っていました。
でも今は、少し違う見方をしています。
休日の虚無感の正体は、何もしていないことそのものではなく、
時間を使ったはずなのに、自分の中に何も残っていない感覚
だったのではないかと思います。
見た。
笑った。
時間は過ぎた。
でも、自分は何も増えていない。
むしろ、少し減っている。
あの感じが、しんどさの正体だったのかもしれません。
だからこそ、変えるべきなのは、自分を責めることではありません。
変えるべきなのは、時間の向きです。
他人を見る方に流れていく時間を、少しだけ自分に戻してやる。
何となく流れていく時間を、少しだけ自分の中に残してやる。
どうにもならない誰かの気持ちではなく、自分の今日に少しだけ使ってやる。
それだけで、休日の終わり方は少しずつ変わります。
大きく変わらなくてもいい。
劇的に人生が変わらなくてもいい。
たった10分でもいい。
ゼロではなかった日を作る。
その小さな感覚が、思っているよりも自分を支えてくれます。
おわりに:次の動画を見る前に、自分のための行動を一つだけ
もしこの記事を、休みの日になんとなくYouTubeを見ながら読んでいるなら。
読み終わったあと、そのまま次の動画に指を伸ばす前に、一回だけ画面を閉じてみてください。
そして、一つだけでいいので、自分のための行動をしてみてほしいです。
本を少し読む。
気になることを調べる。
散歩に出る。
紙に考えごとを書いてみる。
資格の勉強を1問だけしてみる。
部屋を少し片づける。
水を飲んで、少しだけ外の空気を吸う。
何でもいいです。
大きく変わらなくて大丈夫です。
立派にやらなくても大丈夫です。
たった10分でも、ゼロとは違います。
恋愛で苦しかったことも。
時間を無駄にして自己嫌悪になったことも。
何もない休日を持て余していたことも。
今では全部、無駄ではなかったと思っています。
あの有り余ったエネルギーの向きを、少し変えるだけでよかった。
他人ではなく、自分へ向けるだけでよかった。
昔の私と同じように、休日の終わりに少しだけ苦しくなる人へ。
あなたは怠けているのではなく、使い道のわからない時間に飲まれているだけかもしれません。
だからこそ、責めるより先に、向きを変えてみてください。
ほんの少しでも、自分を減らす方ではなく、自分を増やす方へ。
その積み重ねが、あとから振り返ると、思っていたよりずっと大きく自分を助けてくれます。
